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Wolf-coyote's Blog

夜・夜明け・昼 エリ・ヴィーゼル

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自分が中学生の頃、父親が持ってきた本があった。

それまでにも世界文学全集を、日本文学全集を
読んでおきなさい、といったことは言われ、
「どれから読み始めればいいの? どれが面白い?」
と聞けば、
「それは人が決めることじゃない。自分で気になった題のものから読めばいい。」
「じゃあこれにする。どんな話?」と聞けば、
「それは自分で読んでみることだ。余計な予備知識は
与えないでおくよ」と言われ、
「そうか、そういうものか」と思いつつも、
予備知識があった方が入り込みやすいのにと
ブツブツ言いながら読んだが、後になって考えると、
父も知らないから教えようがなかったのだ。

建築が専門の人だったから、各種の文学全集を
読破するような時間があるはずもなかった。

あの頃は、大人はあらゆる方面のあらゆることを
知っていて、あらゆる本を読みつくしたものだと、
私はどこかで思い込んでいた。

そのくせ、自分の方が大人たちより頭がいいと
思い込んでいた。

この矛盾について、どうやって自分の中で折り合いを
つけていたのか分からない。

とにかくその父が、「この本を読んでみなさい」と
言って持ってきた本があった。世界教養全集といった
シリーズ物でなく一冊の本を持ってくるのは
珍しいことだった。これは間違いなく自分で読んで
感銘を受けたのだろう。

それがエリ・ヴィーゼルの「夜・夜明け・昼」
だった。三部作になっているが、それぞれの話に
直接のつながりはない。

「夜」は主人公の少年エリエゼルが家族と共に
ビルケナウの収容所に送られて神の死んだ世界から
生還してパリに行くことを選ぶまでの物語であり、
自伝に等しい内容になっている。

「夜明け」は完全に架空の物語ではあるが、当時の
パレスチナの状況に即して描かれた世界で、
収容所から生還したのちイスラエル独立のために
武器をとった、「ヴィーゼル自身がそうなっていた
かもしれない」少年テロリストが、初めて人を殺すに
至るまでの物語だった。

「昼」は収容所を出てからフランスで暮らすことを
選んだ少年がソルボンヌ大学を経てジャーナリストに
なっていて、私小説に近い内容になっているが、
やはり架空の物語ではある。エリエゼルは生者の昼の
世界に生きてはいるが、もはや死者の世界との狭間に
亡霊のように生きていくしかない。

            *

「夜」は、『堂守りのモシェ』の登場から始まる。
モシェは施しによって生きる貧しい外国人だったが、
少年エリエゼルにとって神秘的な教えを施して
くれる、親しみ深い男だった。歌い、神のことを語り、
神秘思想についてエリエゼルと語り合った。

戦争が始まり、モシェを含む外国人が家畜用貨車に
詰め込まれ、町から放逐される。人々はやがてそれを
忘れるが、ある日、戻ってきたモシェが自分と仲間の
身の上を物語る。

いくつもの大きな穴を掘らされ、彼らが仕事を終えると
ゲシュタポの連中が自分の仕事を始めた。彼らは次々
撃ち殺された。赤ん坊は宙に放り投げられ、
これを標的に機関銃が火を噴いた。

奇跡的に生き延びたモシェは、もう歌うこともなく、
神について語ることもなく、行く先々で必死になって
自分の見たことだけを話すが、誰も信じようとはしない。

そして、この土地から逃げ出すチャンスをみすみす
逃した町の人々も、やがて移送されることになる……

「火だわ! 火が見える! 恐ろしい炎が……」
夜中に貨車の中で気のふれた女性が不意に叫びだし、
人々は窓の外を見るが、そこには暗闇しかない。
彼女は断続的に叫び続け、人々はいらだって彼女を
殴り始める。彼女は黙るが、またしばらくすると叫び、
やがて最後に彼女が、
「見てごらん、火が……」と叫んだ時、人々は
本物の火がおぞましい焼却場から立ち上がっているのを見る……

まだ幼い子供が絞首台にかけられた時、
「神はどこにおられるのだ」と一人がつぶやき、
エリエゼルの心の中の声がそれに答える。
「神がどこにおられるかって? 神はあそこにおられる。
この絞首台に吊るされておられる……」


「夜明け」の主人公のエリシャは、ビルケナウの
収容所を生き延び、フランスで他の少年少女と
過ごすが、いつも亡霊に取り囲まれ、空の向こうに
深い暗い穴を見ている彼は、日常の生活に戻って
いくことができない。

ユダヤ人国家の樹立を目指して戦う集団に
誘われた彼は、パレスチナに向かう。

ユダヤ人たちにとって、眼前の敵であるパレスチナ人
よりも、調停者の役を演じる支配的なイギリス軍の
方がはるかに憎い敵であった。

彼らテロリストグループは、ほんのわずかな運命の
狂いで、貴重な仲間ガドをイギリス軍の捕虜にされる。
それと引き換えに、イギリス将校ドーソンを捕らえて
いるが、それぞれの首脳は交渉のためにお互いに
譲ることはない。

最後にはガドは向こう側で夜明けに処刑され、
ドーソンはこちら側で処刑されるという結果は
避けられなかった。

問題は、誰が処刑者になるかということだが、
収容所で多くの処刑を見てきたエリシャが、
自分自身も死の寸前まで行った彼が、
処刑する側の者として選ばれてしまう。

夜中、収容所で死んでいった家族や仲間の亡霊に
取り囲まれながらドーソンと語り、彼の息子のことを
語り、彼の人となりに触れ、それでも明け方には
彼を撃たなければならない。

ガラス窓に映る自分の姿を恐れるエリシャを描き出す
最後の場面、痛切な悲しみと虚しさだけそこに残る。
その反響のような、言いようもない美しさもまた。


「昼」は白昼の交通事故で死にかけた主人公の回想が
物語の大部分を占めている。

収容所で死んだ母親……そして彼女と重ね合わせられる、
サラという同じ名の娼婦。彼女はエリエゼルと同じ、
強制収容所の生き残りだった。まだ少女の彼女を、
同室の女たちはあらゆる手段で守ろうとするが、
獣の看守たちはわざわざ幼い彼女を選んで慰み者にした。
そして彼女の人生は破壊された。

エリエゼルは彼女を聖女と呼び、そんな彼を
サラは気違いと呼び、エリエゼルは彼女を
抱くことなどできず、逃げるように部屋を出る。

この主人公にはカスリーンという恋人がいるが
「夜明け」の主人公と同じく、夜にとりつかれて
いる彼は、昼の世界、生の世界に生きることが
できない。

最後は病院のベッドの上で、カスリーンを幸せに
して生きていこうと決意するものの、どうしても
母の肖像画から目が離せない、死者の世界から
戻ってこれない。そのことに気づいた友人によって
その絵を燃やされ、絶望に沈むところで話は終わる。

彼の魂はすでに同胞たちと共に空へ行ってしまって
いて、この世界にはない。彼を愛する女性も友人も、
彼を現世の喜びにつなぎとめることはできないのだ。














by wolf-coyote | 2020-03-02 13:47 | 翻訳・書籍・文学 | Comments(0)

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